4月202009
皆様に感謝です。
16年前に母親が他界した際は、喪主は父。
全て、父が仕切り何事も無く葬儀は終了した。
そんな事で、その時の葬儀の細々した事の記憶は一切無い。
私が、川崎近郊で会社関係の葬儀のお手伝いは、多々行ったが香典の整理が主。
その他の事は、ほとんどが葬儀屋さんが仕切るのです。
更に、僧侶も雇われ(檀家の方の葬儀ではない)の事が多く、全てが事務的に流れる。
江津市に帰り、ご近所の葬儀を何度かお手伝いしたものの、喪主として行わなければなら無い事が全く判らない。
しかも、聞いても、専門(?)用語、全く意味不明。
喪主、初体験の私には、少々難しかった。
特に、お供え物のルールは、それこそ手が出ない。
そこで、お袋と同い年の普段から色々と、仏事等では、教示いただいている横山さんに
「すいません。全てお任せします。」とお願いしてしまった。
更に、この辺りは、町内会が帳場を仕切り、色々な手続きも全て仕切ってくれるのだ。
これも、もちろんお願いした。
ご近所さんが、いなかったら、葬儀は成り立たなかった。
お蔭様で、立派な葬儀で父を見送ってくれました。
本当に感謝です。
それから、友達のありがたさです。
“新聞屋の所長さん”が、早々に松江から駆けつけてくれ、葬儀が終わるまで、細々と動いてくれ、落ち込んでいる私を励ましてくれたのです。
“ほのかのばあちゃん”さんが、お手伝いする事はありませんか?」と早々に来てくれました。
そして、中学校時代の同級生もたくさん葬儀に参列してくれました。
何ともありがたかった。感謝です。
遠方の友人たちからも、電報、メール、電話と励ましを頂き、これまた感謝でした。
江津市にUターンし、いつも色々な方に助けられて生活していますが、今回更に助けられている事を実感してしまいました。
“感謝”の言葉をたくさん言っても言い尽くせないぐらいです。
あなたのお父様はもちろん
エネルギッシュな立派な方でしたが
江津で生きるようになってからの
あなたの真摯な姿があるからこそ、
周りの人たちは皆、今こそ
あなたを支えてあげようと
思って下さっているでしょう。
すべてを捨てて江津に帰って来た
あなたのこれからの生き甲斐等を
私の弟は案じておりますが
私は
あなたは素晴らしい財産を
あなた自身の生き方で得たと思います。
都会で暮らしていると
いつも孤独をどこかで感じながら
そんなこと、さらさらないように
自分に暗示をかけながら生きてるような
気がするのです。
江津に帰省すると近所のおばちゃん達の
あったかさに甘えて
小さい子供のような気持ちに戻ります。
横山さんには私達姉弟も
お世話になりっぱなしです。
ほんとに感謝ですね。
昭彦ちゃんのこれからの人生
千葉より応援しています!
千葉の姉様
ありがとうございます。
そう言って頂けると、少しは救われます。
>都会で暮らしているといつも孤独をどこかで感じながら
そんなこと、さらさらないように自分に暗示をかけながら生きてるような気がするのです。
ある部分、それはあると思います。
やはり、生まれた時から知っていてくれる方には、かないません。
確かに、目の前の生甲斐は、まだはっきりとはしてないと思います。
しかし、江津で、私が出来る事が少しずつ見えて来ている所もあります。
それが将来、生甲斐になる様に頑張ってみたいと思っています。
花田屋 様
慣れぬことの連続で、体も心も疲れたでしょう。
少しゆっくりして下さい。
何もしてあげられなくて申し訳ない。
TEL・メールいつでも下さい。
三歳からの同級生様
疲れたのか?ぽっかり穴が開いたのか?
良く判らない状態です。
また、ご連絡いたします。
まだまだ気の休まる事はないでしょうが、体に気をつけて!
仏事は、自分自身の身上としては兎も角、周りとの関係性においても軽んずる事は出来ない訳であり、大変ですが、周りの方達の好意に充分に甘えながら勤めて下さい。
初七日から四十九日まで、出来る範囲で良いですから父上を、お見送りしましょう。
それから、ゆっくりと歩いて行こうよ!!
新聞屋の所長様
明日の初七日から、出来る範囲で行っていく事としています。
初七日が過ぎると、後は週1回のお勤めですので、色々な手続きも開始しようと思っています。
ボチボチやります。