4月242009
七田先生死去
’07-9/20 “私が先生?”で紹介した七田教育研究所の七田眞先生が4/22に、お亡くなりになった。
江津在住者に於いては、数少ない他県での有名者でした。
右脳開発を提唱され、教育界に一石を投じた方です。
私は、上記’07-9/20のブログで紹介したとおり、出雲空港で、偶然お会いし少し会話させていただいた事から始まった。
そのご縁で、先生主催の勉強会で、お話させていただく機会を与えて頂き、その話を聞いていただいた方からの紹介で、ロータリークラブ等での講演にも繋がったのだ。
その時作った、パワーポイントの資料から始まり、都度追加し、今や相当の資料数となった。
4/1“「えっ、私がですか?」”に書いた石見智翠館高校でお話しする内容のドラフトを数日後提示したが、もちろんその資料も今まで溜めてきた物に少し手を加えただけで完成させることが出来た。
先生は、今年に入り入院加療中との報道があったが、お会いした時は、野菜中心の食事との事で、健康には気を使われていただけに、少し早かった気がする。
Uターンして、間もない私にチャンスを与えて頂き感謝している。
心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
私の方は、昨日(23日)今日(24日)と手続きが必要と思われる金融機関、市役所等を尋ねて提出書類等の確認および戸籍謄本等の申請を行い、少しずつ動き始めた。
花田屋 様
七田先生には子供の頃にずいぶんお世話になりました。
今でも右腕に残っている大きな傷。
ガキ大将で暴れん坊だった小生が自転車で転んで山パルの引込み線の鉄条網で切ったものです。
ちょうど、七田先生のところへ遊びに行く途中でしたので、血だらけのまま行ったらすぐに治療してくれました。
オキシドールで消毒してくれた後に確かヨーチンを塗ってくれました。
赤チンだと思っていた小生は”何だ!これは??”・・。
ものすごく痛かったことだけは良く覚えています。
でも、そのまま七田先生のところで遊んでから家に帰りました。
思えばのどかな時代でした。
所長・K君のお母さん、君の親父さん、七田先生・・、我々がお世話になった世代の方々が次々にお亡くなりになります。
“しっかりせえよ!”という声が聞こえてくるような気がします。
先生のご冥福をお祈りします。
三歳からの同級生様
君も七田先生との思い出があるのですね。
ほぼ歳の順とは言え、やはりお世話になった方がお亡くなりになる事は、寂しい事です。
我々が、いつの間にか、お見送りしなければならない歳になっている事にも驚きます。
>“しっかりせえよ!”という声が聞こえてくるような気がします。
まさに、そうですね。
私も、地元に貢献出来る事を見つけ、しっかり江津に根を降ろしていきたいと思います。