2月282008
マガジンとサンデーで新雑誌
講談社マガジンと小学館サンデーが共に創刊50周年で、合同で新雑誌を今年の4月から2回/月 半年間発行するとの事。
最近は、漫画から遠ざかり読まなくなってしまったが、週間少年ジャンプと週間少年サンデーは、50年も頑張っているのですね。
おそらく、作家、編集者は、全て代わっているでしょうね。
子供の頃は、毎週漫画を買ってもらえるほど裕福ではなく、風邪引いた時とか、親戚に行く時の電車の中とか、イベント時に買ってもらえる物であった。
おそらく、その一冊を穴が開くほど見たのだと思う。
赤塚不二夫の『おそ松くん』は、なんとなく覚えている。
漫画を読み終え、次の楽しみとして懸賞応募が有った。
はがきをもらって、ありとあらゆる懸賞に応募したと思う。
そして、当選した記憶が2回ほどある。
1つは、遊園地入場券だ。
子供心に、当たれば当然行けるものと思い江津市からは遠い”横浜ドリームランド”を指定して申し込んだ。
何と当選。
入場券が2枚送ってきたのである。
「当たった。当たった。遊園地行こうよ。」
「どこの遊園地だ?」
「横浜ドリームランド」
「入場券だけだろ。じゃあ行けない。」
「????、入場券あるんだよ。」
「横浜まで、どうやって行くんだ?」
「汽車で」
「誰が交通費出すんだ?」
「???お父さん。」
「そんなお金無い」
ギャァーギャァーと泣き叫んだ事を覚えている。
今思えば、子供には酷な懸賞だった。
どうせなら交通費も付けてくれ!!
この”横浜ドリームランド”には行ってはないが、その横を通った事がある。
その時の事が鮮やかによみがえった。
その遊園地も、今や廃園してしまった。
もう1回は、ハリスのチュウインガムだ。
確か3,4枚入った風船ガムの20ヶ入りかなんかだった記憶があり、毎日ガムが噛めた喜びを覚えている。
これは、良い懸賞。
本格的に漫画参画は、高校の頃だろうか?
クラスに毎週買っている仲間がいてのまわし読み。
それが、マガジンだったのか、サンデーだったかは定かではないが・・・。
その時は、ジャンプ、チャンピオンとかも創刊していて、その頃漫画黄金時代に突入したのかな?
どの漫画がどの雑誌だったかは良く覚えていないが、なんとなく記憶にあるのが
『巨人の星』『ブラックジャック』『釣りキチ三平』『タッチ』『プロゴルファー猿』『ガキデカ』『包丁人味平』『明日天気になあれ』『明日のジョー』・・・・・。
お世話になりました。
行き付けの喫茶店が出来ると、その店で購入している漫画とお友達になった気がしている。
少年漫画は、いつ卒業したかは定かではないが、その後は、漫画の王様と思う、ビックコミックオリジナルが愛読書となり10年近くはお世話になったのではないだろうか。
先日、何かのタイミングでパラパラと見たら、『釣りバカ日誌』だの『あぶさん』だの『風の大地』だの『三丁目の夕日』だのが、まだ続いていた。感激。
漫画は、有害かどうかの議論はいつでもあるようだが、夢を与えてくれ私は良い読み物と思っている。
(もちろん、中にはちょっとちょっとと言いたい物もあるけど・・。)
昔読んだ、漫画に出ていた『****』を現実にしたいと、頑張っている技術者も多いはずだ。
漫画の世界の物であった携帯電話等が今や当たり前になっているのだから・・・。
次に、現実化する製品は、なんだろうか?
楽しみだ。
私は漫画を読まなくなることはありません。
小学生の低学年頃には漫画の週刊誌が発売され始めていましたがまだ月刊誌が多く「少年」、「ぼくら」、「少年画報」の10大付録なんてのが楽しみで今月はどれを買おうかと悩んだりしました。マガジン、サンデー、キング、チャンピオン、ジャンプと週刊誌を読み、高校3年になったときに一大決心をしてやめたのですが風の噂で「ジョーが終わる」と聞きつけすぐに再開し現在に至っています。
現在は、一日2時間の通勤時間があるのでその時間つぶしもかねて、スピリッツ・ヤングマガジン、漫画サンデー、マガジン・サンデー、チャンピオン・ヤングジャンプ・モーニングを各曜日で読んでおります。(2週間おきのビックコミック等も)
たぶん定年退職するまでは朝の売店で購入し続けるでしょう。
結構情報収集にもなります。
実は各雑誌は20分程度で見終わってしまうのでこれ以外にコンピュータ雑誌(月8冊以上)、オーディオ(月2冊)、車(月2冊)の本を電車の中で読んでいます。老眼が進むわけです。
千葉の旧友様
おはようございます。
えっ!!
まだ卒業出来ないって?
そろそろ(かなり前から?)少年物は、似合わないですよ。
ビックコミック系は、良いと思いますが・・・?
確かに、通勤電車の時間は読書時間ですよね。
私の場合、駅の売店で日経買って、(火曜日はゴルフダイジェストも)小田急線と登戸での始発電車待ちで読み、南武線は、座って30分睡眠。日経の読み残しと他の雑誌は帰りの電車でした。
漫画は、喫茶店で読むものと思っていましたので、住まいを替わるたびに、漫画を読む量も少なくなったと思います。
家を買った時に、鶴川の駅前に良い喫茶店がなく、漫画は卒業となりました。
江津に帰ってくると、通勤が無くなり、雑誌を読む時間が少なくなりました。