3月172008
夜行寝台の思い出
東京・大阪間の寝台急行”銀河”が廃止になった。
最後の列車が東京駅を出発する模様がTVニュースで流れていたが、ホームからあふれんばかりの人だ。
鉄道マニアにとっては、一大事なのだろう。
私は、鉄道マニアでは無いし、最近の遠出は飛行機を使用している。
疲れを考えると、夜行列車より飛行機になってしまう。
昔は、江津市から東京に行くのに寝台特急”出雲”があった。
記憶だと午後3時頃出発して、朝6:00頃東京に到着したと思う。
(逆は、東京を夜7:00頃出発して、朝10:00頃到着)
今は、廃止されている。
定かではないが、初めて乗った時は急行だった様な?
ある時から、特急に格上げされた記憶がある。
学生時代の帰省は、ほとんど出雲号だった。
新幹線を利用するのと比較すると、安かったのだ。
飛行機なんぞは、更に高かった。
(飛行機は、会社に入って九州への出張が初めてだった)
その当時の、乗車券は、片道1000km以上だと復路が2割引だった。
しかし、江津・東京間は、片道980km程度で、わざわざ少々離れた益田・東京間を買っていたのを思い出した。
当時は、A寝台とB寝台が有って、B寝台は、3段だった。
寝台列車は、2段だと初めから、ベットメイキングが出来ているが、
3段の場合、中段を昼間は、最近の山手線の混雑時の座席の様に上げてしまうのだ。
夕方になると、車掌さんが中段を作りベットメイキングに回ってきていた。
乗車すると、みんな手荷物いっぱいで、荷物置き場にみんなで協力して、詰め込む作業から始まるのです。
当時は、宅急便が無く、手荷物が多いのは当たり前だった。
この作業で、まず仲良くなるのです。
更には、ベットメイキングされると、座席は薄暗くなり、その中で6人での個室状態で、和気藹々と結構盛り上がるのだ。
この盛り上がりが、魅力なのかな?
そこそこの時間になると、自分の幅70cm程度のベットに上がり、カーテンを閉めて、持ち込んだ雑誌を読みふけるのだ。
「閉所恐怖症の方は、無理だな」と思えるスペースだ。
最近のカプセルホテルの方が広い。
更に、上段だったりすると、結構揺れる。
慣れないとこれが、なかなか寝つけないのだ。
したがって、朝の会話は、
「良く寝れました?」
から始まる。
鉄道マニアでない、私にもこんな思い出がある。
確かに、窓から流れる景色は絶景だし、のんびりした旅も良いもんだと思う。
1晩限りのお付き合いで、別れ際に、
「また会いましょう。」
と挨拶出来るのも寝台車ゆえだろうか。
東京に住んでいた時、父が上京するのは、10年ぐらい前まで出雲号だった。
それで、東京駅まで見送りに行った際に車両に入る事もあったが、割と高級感がある車両に変貌していた。
しかし、乗客は、ほんの数える程だった。
今回の廃止もうなずける。
旅も、道中を楽しむのではなく、目的地に行ってからの楽しみに変ってしまったのだろうか?
これも、時代の流れなのだろう。