5月182008
“ぴあ”
新聞記事によると、”ぴあ”が2008年3月の赤字により、従業員の1/3にあたる約100名が希望退職するとの事。
私が、初めてこの雑誌を見た時は驚いた。
都内の映画、コンサート、美術館等の展示情報が全てわかるのだ。
東京にて生活し始めた時は既に有った。
インターネットなるものはまだ無く、何と便利の良い雑誌だった事か。
東京の事もほとんど判らない者にとっては、これだけでも色々な事を知るのに良い雑誌だった。
田舎者の必需品だったのかな?
更には、別冊のコンサートホール、野球場の座席まで書いた本は、永久保存版だった。
その後、レストランガイド等も出版され結構お役に立った。
この雑誌が出る前の情報は、どうやって皆さんは取得していたのだろうか?
この後かな、アルバイトニュース、アパマン、TVガイド、ケイコとマナブと次々と情報紙が出版された。
当時は、この様な情報雑誌があふれていた。
この頃から情報に価値が出てきたのかな?
最近は、インターネットになり、この様な情報は、ほとんど無料になってしまったが、そのサイトにある広告が間接価値を生み出している。
情報も大きく姿を変えたものだと思う。
今も、情報紙は、売れているのだろうか?
私の場合、ぴあ以前はスポーツ紙かテレビガイドで情報を得ていました、チケットプレゼントに当選してかなり観に行きました。
”ぴあ”は千葉の旧友さんが買っているのを見てたぶん74年あたりから買い始めました。懸賞でポスターが当たったのですが、当選品を編集部まで取りに行かなくてはならなくて猿楽町(神保町となり)のきったないビルに行った覚えがあります。
欄外に載っている読者投稿の「はみ出しぴあ」を隅から隅まで読んでいました。
前売りチケットを買うにも有楽町に交通費を掛けて行ってた時代から、チケットぴあがプシュホンで取れるようになり、今では携帯で予約やコンビニ端末で発券出来る時代になり、あの苦労?を知っている人は少ないだろうな〜。
おっちゃん様
“ぴあ”以前は、スポーツ新聞の情報ですか。
TVガイドの方が前にあったのですか?
私は、TVガイドは、新しいと思っていました。
当選品を編集部まで取りにいったとは、ずいぶんな懸賞ですね。
確かに、電話で予約して、チケットを取りに言ってましたね。
その当時、人気の物は、電話が繋がらなくて、自宅の電話と公衆電話のどっちが繋がりやすいか?とか話題になりましたね。
懐かしい時代でした。
情報誌の生き残りを考えると
①情報の鮮度
常に最新でなければ意味のないものはインターネットにはかなわない
→「ぴあ」は、ある期間の上映情報がメインですから、情報の鮮度としては問題なし?
②広告・購買での収入割合(企業の広告掲載料の割合が高いか、売上部数による本自体の収入か)
映画関係だと広告はTVと新聞になってしまうのでしょうね。インターネットで無料入手できる情報なら消費者は買いませんよね。
→広告掲載料で成り立つのであればフリーペーパーとして生き残れるでしょうが???
「ぴあ」は確かに「はみだし」が読みたくて買っていましたね。会社に勤め始めてから買ってないな~
私のよく買っていたもので衰退したものにオーディオ雑誌があります。いまアンプやスピーカーを自作する人はいないのでしょうね。一時期は本屋のコーナーを占めていたのに・・・
そういえばコンピューター雑誌も淘汰され始めていますね。(特にLinux関連Windows強し。)
老舗の「i/o」は薄くなったし、すでに無い「マイコン」は雑誌名から古臭く感じられてしまうのでしょう!
山ちゃん、おっちゃんと、とっつぁんの下宿で村ちょのMZに16進コードを徹夜で入力していたことが懐かしいですね。(一番入力していたのは山岡?横田?恭一?)
TVガイド
テレビ大好きな私はVCRの無い昔(小学校低学年)からザッピングでテレビを見ていました。
効率良くザッピングするためにTVガイドは小5?から就職まで買っていました。(サンデー、マガジンと同じ日に発売で本屋に行くついででした。)
これもインターネットにはかなわないですよね。今はTVに番組表が出てくるし、そういえば新聞を見なくなったのはTV欄を見なくなったことが大きいかも・・・どれだけTV大好きなんだ)
千葉の旧友様
そう言えば、昔は本編より広告の方が多い雑誌がいっぱいありましたよね。
その広告が無くなれば、情報雑誌も無くなる運命なのでしょうね。
オーディオ雑誌、コンピュータ雑誌もたくさんありましたね。
今や、ミニコンポであれば数万で買える時代になったし、コンピューターも作る人は、少なくなったでしょうし・・・。
MZは、横田が一番やっていたような記憶が・・・・。
TVガイドが小5から有ったんですか。
江津市では、当時民間放送は、1つだった様な・・・?
よって、当然TVガイドなるものはありません。
情報もこれだけ変ったという事でしょうか。
TVの件
アナログ時代はNHK総合、教育、日本テレビ、TBSテレビ、フジテレビ、テレビ朝日、東京12チャンネル、千葉テレビ(UHF)の8局が受信可能でした。このうち東京12チャンネルと千葉テレビは後発(開局時に覚えがある)で最初の頃は6局でした。東京12チャンネルは(小・中学生の私には)最初全く面白い番組がなく観ていなかったのですが「ローラーゲーム」が始まってみるようになりました。千葉テレビ(UHF)はずいぶん長い間「動かない画」に「音楽」の番組が多かったですね、確か千葉県内のモノレールだか電車からの画を延々と流す番組が面白かった。今はおっちゃんに教わった北海道の「水曜どうでしょう」が面白い。
確かに両親の田舎(山梨)はNHK以外の民法は1局だったと覚えています。(そのうちUHF局で関東キー局の放送を遅れて放映していたと覚えがあります。)
2011年にはVHFが無くなり、すべてUHFのデジタルになるのですね。(地上波は) 今まで40数年、これから何年見ることができるのでしょう?
千葉の旧友様
都会は良かったですね。
いっぱいTVが見えて。
ここ江津市は、民放は山陰放送(TBS系)の1本でした。
中学校の頃だったでしょうか山陰中央(フジ系)が開局し、
高校の時に鳥取県のローカル局の日本海(日本テレビ系)も見れるようになり、ケーブルTVになり(これは最近)広島の局(テレ朝系)が見れるようになりました。
未だに東京12は、駄目です。
とは言っても、田舎のTVは、系列と言うだけで、どこからでも番組を購入できるのか、番組が入り乱れ、時々12ちゃん系も見る事が出来ます。
時々、同じ番組を複数のチャンネルで見る事があります。
あとケーブルTVになった事で、BS民放等も見えます。
ですから、子供の頃のアニメは、映っていないものが多く、東京に行って、アニメ話になるとついていけない事が多々ありました。
2011年にデジタルTVになり、ローカルケーブルTVが災害時等必要となるに双方向通信を開始するなど、まだまだTVは進歩するでしょうね。
>「動かない画」に「音楽」の番組
確か 「スライド&ミュージック」てタイトルでネーミングに笑った覚えがあります。
北海道HTB製作の地方番組「水曜どうでしょう」
島根でも写るのではないかな
日本海テレビ(NKT) 毎週火曜日深夜25:34〜
おっちゃん様
千葉テレビの「スライド&ミュージック」に近い番組が、ここのケーブルTVにもあります。
地元の道を車で走りながら映した物をずーっと流している。
「水曜どうでしょう」って言われて判りました。
何度か、見たことあります。
大泉洋が出てる番組ですね。
何故か見てしまいました。
ほのぼのした番組ですよね。ちょっとばかばかしいところも有りますけど・・・。
最近はHDDレコーダーに記録してタイムシフトで見る事が多くなりました。特にプロレス。でも昔のザッピングしてどの局も見たいと思う気持ちは年のせいか萎えてきています。
山ちゃんにオススメですが、BSデジタルのNHK-hiとWOWOWで映画が多く流れています。(公開時に見逃しても必ず見る事ができるくらい。)BSデジタルは日本国中受信可能ですから是非パラボラアンテナ立ててみてください。
千葉の旧友様
プロレス見てるてっか?
プロレスは、見なくなりましたね。
HDDレコーダーは、一応ありますが、あまり使っていません。
我家は、ケーブルTVで基本料金で地上波とNHK-BS3ヶとBS日テレ、BS朝日、BSフジ、BSジャパンが見れるのかな?
あまりTVっ子で無いので良く判っていません。
だから、パラボラが無くても追加料金でwowowも見れるはずです。
バラエティがほとんどになって燃える番組が少ない中、プロレスは今最も燃えるテレビ番組です。全日、新日、ノアとどれも面白いので是非録画して見てみてください。しばらく見ていないのであればびっくりしますよ。
千葉の旧友様
はい。今度見てみます。