11月082010
消火器持って走る
本日(11/8)、ポリテクカレッジの消防訓練が行われた。
校内消防体制表の初期消火班の中に、私の名前があるのは知っていたが、消防訓練の時に活躍の場がある事を認識していなかった。
事前説明時に、「初期消火班は、出火設定場所(食堂)に出火の連絡により消火器を持って駆けつける。」と・・・。
「どこの消火器を持っていくのですか?」
「駆けつける途中の消火器を持っていってください。」
と言う事で、一番近いところの消火器をチェックしていたのだが・・・。
訓練1時間前の再説明で、
「初期消火班は、使用期限が迫っている消火器を消防訓練の後消火訓練に使いますので、事務室に有るこの消火器を持って出火場所に向き、その後避難場所まで持って行って下さい。」
「えっ、ここから・・・。」
冷たく、
「そうです。」と・・・・・。
15:00 食堂から出火の警報。
同時に、消火器を持って食堂まで走ることに。
階段で3階まで上がり、その後200m程度校内をダッシュ。
到着した時は、消火どころではない息切れ状態。
何とか役目を達成。
5年ぶりの、息切れした消防訓練。
サラリーマン時代、執務室が18階だった時は、歩いて降りる時に、結構くたびれた事を記憶している。
更に、行ったり来たりの非常階段で目が廻りそうになった事を覚えている。
今日は、ポリテク勤務後、ミレ青山(介護施設)に移動し石見福祉会の幹部の方々に、2時間ほど講義を行った。
明日は、新入社員半年後研修で益田市に出向く。
>階段で3階まで上がり、
>その後200m程度校内をダッシュ。
>到着した時は、消火どころではない息切れ状態。
↑
はは・・
本当の火災なら役に立たん人選だね!
しかし、こういう実践訓練はやっておかないといけませんね。
あってはいけない事が多々発生しますから・・・
消火器は上手く扱えましたか?
花田屋 様
>階段で3階まで上がり、
>その後200m程度校内をダッシュ。
>到着した時は、消火どころではない息切れ状態。
↑
はは・・
本当の火災なら役に立たん人選だね!
↑
新聞屋の所長に先を越されました。同感です。
昭和47年の大晦日。
岩国ヨーデルグルッペ(スキークラブです)の人達と一緒に、大山にスキーに行っていました。
夕方、隣の旅館から出火。
「大変だ!!」と、小生達は、燃える旅館のスキー小屋から板や荷物を運び出していました。
消防が来て、「危ない!どけっ!!」と怒られたのは言うまでもありません。
ずぶぬれになって運び出した荷物は、信じられないほどの量でした。若かったとはいえ、「火事場の馬鹿力」は凄いものでした。
宿に戻ると、TV(紅白歌合戦)で、ちあきなおみがレコード大賞を取った「喝采」を歌っていたのをやけに覚えています。
翌日のトップニュースは「”連合赤軍”の森恒夫、獄中自殺」でした。
38年前の出来事ですが、火事の記憶とあいまって、鮮明に覚えています。
冬場に向かい、”火の元注意”ですね。
新聞屋の所長様
三歳からの同級生様
はっきり言うな。
確かに、現場にたどり着いただけ。と言う体たらくですけどね。
本番は、無い事を祈りますが、その時は”火事場の馬鹿力”が出ると思います?
消火器の扱いは、任してください。
今回は、学生が体験していましたけどね。
三歳からの同級生さんは、凄い経験をしているのですね。
しかも大晦日に。
火事の体験は、まだありません。
体験したくないですけど・・・。
火の元は注意ですね。