7月212008
祇園祭
7月19日 ’08-7-16御幣作りで紹介した、御幣の飾りつけ
今年、私は、1組の組長で、その作業の仕切らなければならない。
作業時間は、各組に任されており、9:00ぐらいからでも良いかと思いきや、皆さん朝が早いようで6:30ぐらいからとの要望もあったが、妥協して頂き8:00から。
川崎時代は、色々な町内作業は、9:30ぐらいからだったのだが・・・・・。
白いビニール紐を各家の軒先を引き回し、その間に御幣を挟んで行くのだ。
しかし、午後から雨の予報もあり、組長判断で、紐の引き回しのみ行い、御幣は各家庭にて取り付けていただくことに。
天気予報がはずれ、雨が降る気配が無く、夕方、御幣付けを行い、何とか完成。
20日祇園祭本番
昨年の台風の影響の雨と違って、朝から快晴。とにかく暑い。
12:00頃、昨年と同じく「川平町の田植え囃子」懐かしきリズム。
13:00から川渡神事となっていたので、御輿は、我が家の前を12:30頃通過、川渡神事を見る予定にしていた。
が、13:00になっても御輿が出てこない。
13:00過ぎから野暮用があり、出かけなければならない。
仕方なく出かけ13:30に帰ってくると、既に御輿は近所の江川に向ったとの事で、慌てて江川に向うと御輿が既に、船に乗せられていて、川渡神事の開始だった。
写真で見ると、なかなかの祭りの様に見えるが、残念ながら子供の頃の思い出にある川渡神事と違い、船の数も少なく、かつ見物人の姿も少なくなっていた。
更に残念だったのは、’08-6-19祇園祭ポスターで紹介した同級生の沖田のテルちゃんがいなかったのだ。
彼は、今年の春にお袋さんを亡くしており、喪に付す身。
神事には出て来れないのだろう。
途中で出会った”焼肉ふじた”の店主も
「テルちゃん居なかったね。彼はとにかく上手く、すごく目立つのですぐ判る。」と言っていた。
16:00また野暮用で出かけようとしていると市役所の所で巡行する御輿と遭遇。
な、なんと御輿が台車に乗っての巡行。
初めて見る姿にびっくり。
担ぎ手が居ない苦肉の策の様だ。
ここの御輿は、少々重たくて約1t有るそうで、相当な人数が必要なのだが、若者を集めるのが大変な様だ。
18:30太鼓の音が響き、ご帰還の様で、表に出て見ると
あちゃ、本町も台車巡行?と思いきや、
我家の前で、担ぎ上げ最後の巡行。
ご近所さんも、一斉に出てこられ
「山藤さん、この前ケーブルTV見たよ。」
と数名に声を掛けていただき、ちょっと照れくさい。
ずっと、巫女さんが御伴していた様で、1枚撮らせていただいた。
宮司さんのご親族(左)との事で横浜から来たとの事。
右は、そのお友達で同じく横浜から来たとの事。
お正月とかも、来て巫女さんをやっているとの事。
その後御輿は、お宮前を通り過ぎ、新町、泉町へ
19:30やっと、ご帰還。
お宮参道の前で、一回し。
お宮ご帰還後、御神体を出し、本殿に。
昨年は、川渡神事は無く、御輿巡行だけだったが、30数年振りの祇園祭に多少興奮したが、今年は、少し冷静に見る事が出来た。
私の子供の頃は、町にも活気があり、祭りも盛大だった。
御輿のご帰還も午前様だった。(遅ければ良いという物でも無いが・・。)
川渡神事も毎年行われ、子供御輿を担いだ時は、船にも乗った記憶がある。
今や人口が減少し、高齢化が進んでいる。
祭りのあり方も、徐々に変りつつある様だ。
21日は、御幣の片付け作業が待っている。
子供の頃の夏は、7月の祇園祭で始まり、8月13日あたりから、各地区毎で盆踊りが続き、最後に8月16日に花火大会(現在の江津祭り)。この時には、下江川橋の麓で水上盆踊りも行なわれ、川面に流れる多くの灯篭と頭上に大輪の花火。
ひたすら暑かった夏とお別れをする。
神事、祭りの両面の意味合いを持った強烈な記憶でした。
時代の流れの中、規模や形態は変わってきても、面々と引継がれていく行事。大変な事と思います。
只の懐かしい思い出から、寂しくなったなんて思うのは、この祭りの成功の為に尽力された多くの方々に失礼であろうと思う。
我々が生まれ育った本町地区の祭り。今や地域を越えて。この祭りを残そうして下さっている方々に感謝しています。
新聞屋の所長様
確かに、この地域は祇園祭、灯篭流しとインパクトの強い神事、仏事があり、伝統のある地域である事を認識しています。
都会での生活(居住した地区)でこれだけインパクトのあるものはありませんでした。
それだけに、30数年ぶりに見るものは、期待も大きく、ついつい昔との比較となり、事実を書かせていただきました。
勿論、この祭りの成功の為に尽力されている方には、感謝しています。
訂正
上記ブログに御輿の重さ約1tと書きましたが、ケーブルTVで特集やっており、
「御輿の重量は、1.5t、30人で担ぐ」と言っていました。
1.5t/30=50kg
一人50kgを担いで何キロもの巡行は大変だ。
関東の「セャ、セャ」と弾むように担ぐ方法は、これでは出来ない。
やっぱり大型御輿の様です。
父からURLを聞き、ブログを拝見させて頂きました。
舟にのっていたので、橋からみた舟の写真が見ることが出来、
嬉しかったです。
写真載せて頂きありがとうございます。
父がメールを送ると言っておりました。
父は昔の醤油蔵の匂いを覚えていましたそうです。
私は横浜で育っていますが、江津本町が大好きです♪
お祭り好きな巫女より
追伸、アドレスは父のアドレスですが普段見ないかもしれないです。
巫女(左)です。様
書き込みありがとうございます。
横浜から、ご苦労様でした。
暑い中、一日中御神輿の同行で、お疲れだったかと思います。
子供の頃は、子供御輿も船に乗せてもらって、楽しかった事覚えています。
船の上からだと、眺めが違いますからね。
横浜も良いですよね。
元町、伊勢崎町、中華街と港横浜の雰囲気は、私も好きです。
横浜球場も良く行きました。巨人戦に。
Uターンして、2年で、まだまだ地域の事が判っていないのですが、江津の情報も発信したいと思いますので、また覗いていただければと思います。
父上の同級生は、このあたりはいっぱいおられ、私の家の前の敏ちゃんとか、今もおられる茂ちゃんとか・・・。
(5つも上の方にチャン付けも失礼ですが・・・子供の頃のままです。)
確かに、20年ぐらい前までは、醤油を作っていましたので、モロミの匂いがしていたはずです。
今は、蔵も無くなり、その匂いもなくなりました。
父上によろしくお伝え下さい。