1月172025

阪神・淡路から30年

今日(1/17)は、朝から曇りがちで、時々パラパラしたり、青空が見える時間他も有りと目まぐるしい天気でしたが、気温は10℃近くまで上昇した様です。

明日、明後日は、大学入学共通テストの様です。
この辺りは、お隣浜田市の島根県立大学が会場です。
2日とも朝方は冷え込みますが、日中は日差しも有る様で、気温も10℃超えの様です。
頑張ってほしいと思います。






今日午前9時40分ごろ、広島県江田島市江田島町津久茂で、第43掃海隊の爆発を伴う訓練中に火災が発生し、山頂に向かって延焼中。と。

新聞記事

広島は、乾燥していた様で、一気に燃え広がった様です。
火災現場付近にある特別養護老人ホームの入所者約160人は別の施設に分散して避難を始めている。と。

アメリカほどの規模では無いですが、空気が乾燥していると怖いですね。
記事内にある、動画を見ると火の勢いが判ります。
早期に鎮火する事を願います。

自衛隊ですので、日ごろ同様の訓練を実施ているものと思われ、今回だけ、乾燥している山で何かの火が燃え移った物と考えられます。
おそらく、消火訓練等も出来ている隊員もいたと思われますが、乾燥していると予想以上に火の延焼が早かったのでしょうかね?
記事にある動画を見ると、ロスの火災の延焼が早いのも判る様な気がします。

やはり、この時期の火災は、怖いですので、火のもとには注意ですね。







阪神・淡路大震災の発生から30年経過しました。
1995年1月17日(火) AM5:46
マグニチュード7.3の地震が発生しました。

確か、この時の揺れを東京でも感じたと記憶しています。
当時は、自宅を7時過ぎには出て、会社に8時頃に入る生活をしており、TVで「関西で、強い地震があった模様」程度の速報を耳にして、いつもの通り出社しました。
当時は、携帯電話は無く、ネット環境もほぼ無かったと記憶していますので、情報は入りづらかったです。

出社して1時間程度経った頃に、関西支社の知り合いから電話が入り
「おはようさん。関西は強い地震があったらしいね・・・。」
「そうなんですよ。3連休で、妻の実家に来ていて、朝の地震で、ご近所でたくさんの人が亡くなっていて大変なんです。それで会社に行く事が出来ず、会社に何度も電話を掛けるのですが、まったく繋がらず、山藤さんの所の外線電話番号が頭に有ったので、掛けて見ました。支社に連絡してもらえませんか?私たち家族は、全員大丈夫ですが、出社する手段がなく、ご近所さんの救出に協力したい。」と。
その電話で、関西の地震が相当大きいらしいと言う事を認識しました。

早速、社内の内線電話で関西支社に掛けると、1発で繋がり、知り合いが1人だけ出社していて
「今、**君から電話が有り、・・・・・。」と伝言を伝え
「大丈夫だったの?」
「私は、支社まで歩いても来れる範囲に住んでいるので、歩いて来ました。フロアーに2人しかいません。神戸の方は大変の様です。」と。

その後、外出していた社員が、新聞社の号外を持って帰ってきて、トップの写真が、あの高速道路が倒れている写真でした。

当時は、各オフィスフロアにTVの設置は無かったはずです。
昼休みに、食堂のTVでのニュースを見て、初めて被害の大きさを確認した感じでした。

この日の事は、鮮明に覚えています。
あれから、既に30年が経過したんですね。

当時は、携帯電話は、ほとんど無く、固定電話は不通で、安否確認がほとんど出来ない状態でしたが、今は携帯電話網が広がり、以前よりは繋がりやすくなっています。更に、メール、SNSの活用で安否の確認は行いやすくなっています。
ただし、東北大震災の時には、携帯電話のアンテナも増やされていた様ですが、そのアンテナの電源が遮断されてせっかくの設備が使えなくなったことも有りましたが・・。

各通信会社は、「災害用伝言ダイヤル」のシステムを立ち上げ、災害時に使える様になっています。

電力会社は、阪神・淡路大震災時は、早期の電源回復に努めたのですが、残念ながら、地震により電気ストーブが倒れていたり、電気ストーブに燃えやすいものが倒れ掛かっていたりして、そこからの火災となり大火災になった様です。
その反映として、地震時は、ある地震強度以上だと、自動的に切れるブレーカーが開発されたり、地震時は、発電所を止めない様にする対策では無く、電力量が下がる事が確認されていて、発電所を停止させる対策としていた事等が功を奏し、大火災が発生しませんでした。

更には、ボランティア活動の在り方、ボランティアの実施方法等が反映されている様です。

残念ながら、自然災害には勝てませんので、日ごろの準備・対策が必要だと感じます。
昨日、取り上げた南海トラフ地震の事も有りますので・・・。








大相撲の横綱照ノ富士が、現役引退を発表した。と。

新聞記事

「思い通りの相撲を取れなくなり、中途半端な気持ちと体で土俵に立つべきではないと思った」と。

彼のガッツには、脱帽です。
大関からケガで、序二段にまで陥落し、再び土俵に戻り横綱になったのですから、凄いとしか言いようが有りません。

過去、大関から陥落して、十両まで陥落した力士は、いたと記憶していますが、幕下に陥落した力士は初めてかと・・。
更に、返り咲いて、横綱ですから、後にも出てこない力士と思います。
お疲れ様でした。

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